htoko’s blog

44歳会社員、女、バツイチ、子供なしの忘備録

【『沈黙』の舞台をかつて訪ねた 長崎旅行①】五島・奈留島(江上天主堂)

『沈黙』観て感想書いてたら寝た子が起きました。2015年秋、長崎港→福江島奈留島小値賀島→上通島→佐世保→有田→長崎市の旅を、隠れキリシタンのこと中心にレポします。旅友(後輩)と一緒でした。

I'm going to report my trip for Nagasaki Area from Tokyo; Nagasaki port →Fukue island, Narushima island, Ozika island, Kamidori island →Sasebo→ Arida(Saga prefecture)→ Nagasaki city in Autumn,2015.

 

はい、まず長崎といえば。長崎中華街にまっしぐら、「江山楼」。具もおいしいけど、この白濁スープがウマウマ!スープだけでも買って帰りたい!

長崎新地中華街の美味しい長崎ちゃんぽん|中国菜館江山楼

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店を出るとべっ甲!べっ甲!な店がありました。

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国宝・大浦天主堂。日本で最初に殉教した日本二十六聖人にささげた教会。殉教した西坂(今の長崎駅の近く)を向いている。そして1865年、ここのフランス人神父を浦上の隠れキリシタンがこっそり訪ねてきて信仰を告白したことが世界的な驚きをもって伝えられた(信徒発見)、そういう場所。私が行ったときは信徒発見150周年という記念の年でした。

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巨大豪華客船が泊まっていた

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グラバー園から望む長崎市。本当に坂が多くて、教会がちらほらあって、駅を出るともうこんな感じで、路面電車行き交ってて。今回は3回目の長崎訪問でしたが、初めてJR長崎駅を出たときはその独特な光景に驚きました。日本全国、県庁所在地なんてだいたい同じ感じと思ってたから…(チェーン店づくしの駅ビルがあって、でかいバスターミナルがあって、みたいな)

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長崎港を望む。

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グラバー園軍艦島も三菱が関わって作られたんですよね。現役の三菱重工業の巨大ドッグが見えます(工場萌えにはたまらんです)

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夕焼け。五島へも軍艦島、左の橋をくぐって外海に出ます。私調べでは外海に出るととたんに荒れだす(笑)ロドリゴ神父、よく2往復も…

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夜の大浦天主堂。漢字と教会の組み合わせがたまらん

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思案橋でファースト酒。そういや新婚旅行は長崎で、「きのした」っていうイカ専門の割烹料理やに行きました。ちゃんとあったよ。もう今は感傷的になることもありません。

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さて2日目。長崎港から船で五島の福江島へ。五島は窪塚洋介演じるキチジローの故郷。福江島五島列島の中でも一番大きい、南端の島です。ホテルに荷物を置き、編集者の友達とすばやくルート取りを計算。福江島より、奈留島行きのフェリーに飛び乗ったほうがより教会を回れるという話になり(二人とも運転できない)、超絶ダッシュでその船に飛び乗る。係のおじさん、「そんな走んなくていいよ」と笑って待っててくれました。

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奈留島。レンタサイクルもありませんというのでタクシーで。70代前半ぐらいの運転手のおとうさんがいろいろ教えてくれた。五島は基本的に、長崎で迫害を受けたキリシタンが渡ってきたので、島民の先祖は隠れキリシタン。自分が子供のころ、人が死ぬと仏教式の葬式の後に、人目をしのぶようにもう一度、キリスト教式の葬儀を行う人たちがいたのを覚えているとのこと。今は隠れなくていいのになぜ?と聞いたら、(二度葬式を上げるのは)隠れるというより体裁が悪いから、遠慮してたんでは、と運転手さん。

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途中の高校に松任谷由実「瞳を閉じて」歌碑があった。この日は休日だったけど、平日だと、生徒が出てきて歌ってくれるとのこと(本当??)

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細い路地を縫うように走り…山を抜けて…それは現れました。江上天主堂。木造の教会です

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木造な上に窓枠の上の、こういう花びらモチーフといい、パステル調の色合いといい、メルヘンで可愛い。ザ・和洋折衷!キリスト教が解禁になってからの建立だそうで、そのせいか苦難の!歴史の!のような雰囲気は感じなかった。ただこんな山奥にひっそり佇む姿が、世を忍び人を忍び、だったのかなあと感じました。

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タクシーの車窓からほかにも教会が見える。五島全域で50とか60とか、カトリック教会があるそう。ポルトガル宣教師たちの数百年前の布教の成果がここに…日本は広いですね、ほんとに

 

この頃はこれら長崎の教会群の世界遺産登録を大々的に目指してキャンペーンとかやってて(その後一回見送りとなった)、「観光客増えたんじゃないですか?」「まだ、そんなにそれほど(笑)」(運転手さん)

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奈留島は入り組んだ地形なので良港が多いとのこと。世界的なボート競技の選手の方も移り住んできたそうです(運転手さん談)

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奈留島から福江島に戻る。次回は福江島へ。

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【映画】『スモーク』(Smoke)

 

smoke-movie.com

映画感想を忘備録として書きますが、友達に話せないコイバナとか黒い気持ちをここでつづりたいので、婚活ネタ(実際の最終目的は結婚ではなく彼氏がほしいのだけど)もぶっこんでいきます。

私、37で離婚して2年ぐらいは傷心で一人の生活に戻ることで精一杯で、40過ぎてからネット婚活、いわゆる婚活サイトに登録して、メールやり取りして、気に入ったら会う、を細々とやってきたんです。サイト以外でも知り合った人を入れると15人ぐらいかな。それで、真剣に好きになったのは一人、ちょっと続いたのもその一人、あとは、なんか一回二回、会った直後に終わっちゃいます。以下、「自分の魅力不足」を差し置いて、ちょっとぐちりま

 

やりとりもそこそこに「ラインやろう」って方多いですよね。私はいわゆるショートチャットが苦手で、メールだと饒舌にいろいろ書けるのに、ラインだととたんに何を話したらよいかわからなくなる。「お仕事は何系ですか?」「どの辺に住んでますか」みたいな、最初のラリーはまあできるんですよ、その後なんです。

「離婚して何年ですか?」「お子さんいらっしゃるんですか?」「離婚原因は?」とかそういうことを、ラインで聞けないですよ、私にとってラインは「軽いチャットツール」なので、友達ならまだしも見ず知らずの男性と、そんな、もっと貯めてじっくり打ち明けたいような話を、チャットなんかで…(チャット偏見)

 

逆にそういうことをどんどん聞いてくる男性がいて、まあ今はそうなんだなと思って、いいなと思った人には特にあらがうこともなく答えるけど、会社の休憩中に見て、返事して、電車の中で見て、返事して、お風呂入って、返事は翌日、とか、コミュニケーションとして落ち着きがない。じっくりチャットできる時間など夜の数十分ぐらいなので、会話が散漫、断片的になる。

 

あと多いのが、「こんにちは」とかだけは送ってくるけど、会話は膨らませてくれない人。「今日は寒いですね」「お仕事今日も忙しいですか?」とか返して、「そうですね~」だけとか、、、なんなん、何したいん!

 

というわけで、自分にとってラインは浅いコミュニケーションしかできないもので、結果として「ラインしましょう」の人とは、ラインに移行したことによってダメになるパターンが自分の場合、多い気がします。でも、これだけ「ラインしましょう」の人が多いということは、チャットで盛り上がって出会いにつなげている人も多いのだろう。私はオワコンなのか…

 

でも、思うんですよ。ネットで検索する。ラインで会話する(会話したような気になる)。一回会う。なんかちょっと、食べ方が気に入らない。笑い方が気に入らない。あの発言、ちょっと気に入らない。その日の夜だけ「今日は楽しかったですありがとうございました」のやり取りをする。次の日からぱったりやりとりがなくなる。ああ、そうですか、切りましたか。ちょっともったいないかなと思いつつも、自分から「また会いませんか」という勇気はない。

ネット恋愛、出会うのは簡単、終わるのも簡単。ええ、深い関係につなげられない私に問題があること大なことは自覚がありますが、それをしみじみ実感する今日この頃なのです。

 

さて、『スモーク』。ハーヴェイ・カイテルが営むブルックリンの街角のタバコ屋を舞台の中心に据えた物語。妻を失った傷心から数年書けなくなっている作家(ウィリアム・ハート)、そこに父と生き別れた黒人青年が加わって…過去にワケありの人々が織りなす物語。最後にハーヴェイ・カイテルが、「クリスマス向けの小説のアイデアが浮かばないから何かヒントを」と請うウィリアム・ハートを前に、延々、語って聞かせる過去のクリスマスの思い出話で物語が終わる。ちょっと変わった構成だけど、タイトル通り、たばこをくゆらせながら話す男たち、女たちの会話を聞いているだけで、上質の小説を読んでいる気分になる(元々小説からできた映画なのだけど)。

 

それで、思ったのはですね、人と人が対面で話すことへの尊さと、それが失われた今への喪失感ですよ。ここの登場人物は、みな、直に会って、たばこをくゆらしながら会話する。妻を失って失望のどん底にいる作家。だけど、近所にあるたばこ屋には必ず顔を出し、二箱買っていく。そのついでに、店主と話をする。店主も彼の過去を知っているから、口には出さずとも気遣いながら、軽口をたたきつつ会話する。そういう描写が連なっていく。

 

1995年の作品なので、メールも携帯もないから当たり前といえば当たり前。1995年といえば私は大学3年生。私たちも、20年前はそうしてたんですよね。電話して、待ち合わせて、会う。ドイツにいた友達に会いに行ったときは大冒険でしたね、時刻表と、日本で最後にFAXしたやり取りが最後のやり取りで。異性と「会う」なんて、それはけっこうな冒険でした。電話か直筆の手紙、または会うしか相手とのコミュニケーションがなかった時代。相手の言葉の、重み。

 

直に会う。話す。失われたのだなあと思うけど、望めば今でもできる。「私はラインは苦手なので、実際に会いませんか」。気に入った人にはこれで行こうと思います。

【映画】『沈黙~サイレンス』(Silence)

人とは滅多に映画を観ない私ですが、最近キリスト教文化を学んでいるという大学の親友と、抜けるような青空のもと六本木へ。

chinmoku.jp

 

拷問シーンが多いのか、やだなあ…ますます一人で観たかったよ…と思いつつ、あっという間、緊張しっぱなしの2時間41分、筋肉もアレだったのか肩が凝った。そして緊張からの解放感からか急激に空腹が襲い、迷宮の六本木ヒルズを右往左往、飛び入りで入った店でチャーハンを無言、文字通り沈黙でかきこむ二人なのでした…

 

遠藤周作の原作は高校生ぐらいのとき読んで、重厚だけど、テーマが自分なりに咀嚼できた気がして、初めて「背伸びして大人の小説が読めた」という手ごたえを得た、そんな存在。小さいころ親に連れられて日曜学校とか行かされて、キリスト教は無縁じゃなかったんですよね。でも日曜学校で「イエス様が私たちのために死んでくださった」「私たちは生まれながらに罪がある」とか、ほんと意味わかんなくて、未だにわかんなくて… そう、そうなの、なんで信じてるのに死ぬまで苦労しなきゃいけないの?なぜ神様は黙ってるの~?

 

さて映画。まず、28年前に原作を読んでこの映画化にこぎつけたという巨匠マーティン・スコセッシの目力(めぢから)の強さよ。お金をかけた時代劇は邦画でもあるけど、何が違うんだろう、その画の力強さたるや。バイリンガル日本人が多い違和感とか吹っ飛ぶ重厚さで、ヘンテコ日本描写とかもなくて、その説得力があの神父が踏み絵を踏むか踏まないかのクライマックスを盛り上げる。自分がこういう、観た後に「あーー、映画を観たーー!」って実感がズーンとくる映画、好きだったことを思い出した。

 

そして、日曜学校を挫折した私はやはり、「神のみが真理」一点張りのロドリゴ神父よりも、ここではそうした宗教は根付かないのだと諭すイッセー尾形のイノウエ様のほうに説得力を感じてしまう。民族性や精神的土壌を考えずに、一方的にこれのみが絶対、と押し付けるのは…

 

でも、史実として、圧政に苦しんだ長崎や熊本の農民を中心に、キリストに救いを求めた人たちがたくさんいたこと、その後何百年も、隠れながらもその信仰を守り続けたこと。その人たちは神父が来たおかげで救われたのだから、神にすがる人の心の強さも、またあるのだとも、思ったのでした。

 

私はポルトガル、長崎の島原、五島に行ったことがあり、個人的にも隠れキリシタンは興味があった。五島列島はあの島々に50ぐらいカトリック教会がある!日本は本当に広いですね。福江島堂崎教会の中に、隠れキリシタンの品々が展示されている…たぶんポルトガル語だろう言葉をひらがなで書いたオラショなどを見ていると、追い込まれた人の意志、信仰のあまりの強さが無言で語りかけてくる。

長崎駅すぐ近くの「日本二十六聖人殉教地」の史料館には、外国人監督撮影によるカクレキリシタンの儀式のビデオが見られて、信教の自由が保障されている現在でも、明け方に無言で祈りを唱える長老たちの姿とか、ちょっと衝撃を受ける。

書きながらいろいろ思い出したので、その時の旅行記を今度書きますね。

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*1

 

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*2

 

*1:堂埼教会/五島・福江島

*2:ちなみに五島周辺の海(長崎港の外海)は海、荒れる~。ロドリゴ神父、よく2往復した~

【映画】愛をよむひと(The Reader)

忘備で観た映画書くことにした。(誰も読んでないからあれだけどネタバレあることも)

DVD鑑賞。ケイト・ウィンスレットが守りたかった秘密自体が、なぜだろう、自分の身を守ることと天秤にかけたら秘密にしなくても…と腑に落ちなかったけど、見ごたえのあるメロドラマだった。

 

数十年経っても襲い来る悔恨、と思ったらきらめく思い出を取り出しては自然と笑みが出たり、そして永遠に答えの出ない「なぜ」。過去の記憶が波のように寄せては引く、そこから抗えない男。孤独を体現したレイフ・ファインズが良かった。教会の子どもの聖歌隊の声と窓からの木漏れ日と愛する人の笑顔、きらめく一瞬は死ぬ前にふと思い出したりするのだろう。

自分の中でキラキラと輝く、幸せしかなかったあの一瞬は二度と戻らない。しわが増えて白髪も増えて、滅多に笑わなくなった老いた自分が、その記憶だけがキラキラと輝く。そこには恨みも怒りもない。

www.allcinema.net

クリスマス連休3連休

22日(木)

家リフォームする友達の家にお呼ばれ すごい嵐、新潟の糸魚川では大火事があったらしい。映画談義。ギャラクシー・クエスト!、不思議惑星キンザザ、この世界の片隅にシン・ゴジラ、いろいろ。お土産に林檎ジャムもらう。おでんおいしかった。

 

23日(金)

ケーブルテレビの工事来る。ポレポレ東中野で濱口竜介特集『天国はまだ遠い』『不気味なものの肌に触れる』。石田法嗣さんという俳優のトークを聞く。アジアのスターを目指せると、監督から言われているとの話

 

24日(土)

旧友と創業50年の近所の店で飲む。差しのみのつもりが、夫さんと、前日たまたまあったらしい3人を連れてきている。香港人のスタンリーと映画談義。ウォン・カーワイ、トニー・レオン金城武。香港から中国に通勤、普通にある。楽しかったけど差しのみのつもりだったというとすまながって、年明けの飲みを約束。

 

25日(日)

ポレポレ東中野で再び濱口竜介監督特集。チケット先に買って、駅ビル内の喫茶店で梯久美子『狂うひと』を熟読。たのしい。

遅ればせながら『PASSION』。一番面白かった。今回見た監督作3本中2本に渋川清彦が出ていた。渋谷に移動しソ連ナイトという変わったイベント。東京カルチャーカルチャー新宿ロフトの綺麗で広い版のような。友達とその弟さんも来たので、3人でお茶した。友達がクリスマスプレゼントくれた。

 

用事があればさびしくない。埋めつくそう。

37で離婚して①

37で離婚したとき、私は私が何者かという自分の輪郭に少し触れた気がしました(遅えよ)

 

元夫の浮気が発覚した当時(それは、二人で酔って飲んで帰った日、元夫が酔ったまま誰かに何かの返信をしており、それを私が目にしたことでした。文面は一言「生理が来ない」)のことを振り返ってみます。雰囲気や情緒に流さされて、実に自分が見えていなかったかが、今ではよくわかります。

 

当時あったこと。義弟夫婦に子どもができたこと、義姉の結婚式が立派だったこと。私たちは結婚式をしなかったし、先方の家族には義姉の結婚式の控室で紹介されただけでした。夫より四つ年上だった私は、夫の家族になんとなく受け入れられていない疎外感のようなものを味わっていました。

 

いや、「四つ年上だから」という言い訳はよそう。「人として、他人と関わっていけるか」面が不安な人間からすると、「結婚して先方の家族とうまくやっていく」って、急に課せられた試練ですよね。私は他人とのかかわりに今でも自身が持てないくらいなので、このシチュエーションは気が重かった。

 

「早く子供を」とか義理の両親に急かされたわけでもない、同居を求められたわけでもない。けど、元夫の家族が私の家族とあまりにも違う、結束が強い関係だったので、そこにうまくなじもう、認められよう、という気持ちが私にあった。

 

けど、元夫の家族なんて盆や正月に会うぐらいだったのに、何を私は当時、焦っていたのか。それは、先方の家族なんて関係なくて、元夫と自分の二人の関係が不安になっていたんだと思う。私は発覚する直前まで夫の浮気などみじんも疑っていなかったけど、「今振り返れば」と思い当たることがたくさんある。私は私で、夫の態度に不安を感じていたんでしょう。

 

共働きだった私たち、元夫より1時間ぐらい早く家を出て、元夫より数時間早く戻ってくる(元夫は毎日終電、たまに朝帰りだった)。私が自分の仕事の後、毎日、スーパー総菜でなく、料理を作って待っていようと懸命になっていたのは、私が数時間早く帰れたから、だけが理由じゃなかったと思う。「妻は、女はそうすべき」という固定観念が自分にあった。子どももいる共働きさんには笑われそうですが、人それぞれですよね、私には「自分が働いて、もっと働いている夫のために、家事をして支えること」が精いっぱいでした。

 

夫は「そこまでしなくていい」と言ってましたが、では私がしなかったらやってくれるのかというと違った。「そこまでしなくていい」と一見優しい物言いは、「自分がしないことの引け目」からだったんですね。私は家事分担のことで揉めたりしたくなかったので、あからさまにそのことで喧嘩したりはしなかったけど、「そこまでしなくていい」よりは、素直に「ありがとう」と言ってほしかった。

 

ちょっと話がそれましたが、夫は私が一生懸命「妻」であろうとしたことを快く思っていないふしでした。いや、「ありがとう」は言ってはくれるんですが、一度私が「私って兼業主婦だよね」と言ったら露骨に嫌な顔をしていた、その顔は覚えています。まあ別の女と付き合いながらそう言われたら、嫌でしょうね。

 

でも確かに、表面上は元夫に強いられたわけではなかったのに、追い込んでいたのは「結婚したのだからちゃんと夫婦らしくしなくては」「妻らしくしなくては」という、ドコからかのダレかからの声に押されたのに加え、31、32、33、34と、年齢だけが重なるのに子どもを作ろうという話は元夫からは一切出ず(まだそういうことは考えられないから、ということは何度か言われた)、形態だけは共働きの同居人、という状態、変わらない状態に焦っていたんだと思います。

 

今だからわかることです。どっちかが会社を首になったわけでもなく、大病したわけでもなく。何もないけど穏やかな暮らし。たまに巻き起こる元夫の実家騒動に、当事者として巻き込まれたわけでもなく。しかし、不安でたまらなかった。

 

今思うのは、私にとって「ドコからかのダレかからの声」は大きい、そしてそれに振り回されて自滅した私には、その声を無視して生きることが今後の課題になるんだろうなと。一見、超然と構えているように自他ともに思っていた「私」は、実は他人の目や言動を気にして、情緒や雰囲気に流されて、浮気されたのに元夫にすがりつくという滑稽な一、二年を過ごすことになったのです。今、あの滑稽な日々を日々、かみしめています。

 

世間体にとらわれず生きること。

強要されたわけでもないのにいい妻であろうとしたこと。

一方が二人の生活を作ろうとし、他方がそうでない場合の結婚生活の滑稽さ。

 

ごっちゃになっています、人に読ませる想定をしていないので、これからもう少し整理します。私の頭を整理するためにこのブログはあります。

独り過ぎて忘備録。

初めまして。まずは自己紹介から。

第二次ベビーブーム世代のピークである1973年生まれ、バツイチ、TOKOといいます。

2年の交際・同棲を経て31で結婚し、37で離婚し、独り暮らし、今に至ります。

もめにもめた後、離婚して1年後、Facebookのおせっかい機能(「友達かも?」)で元夫と浮気相手の結婚を知ります。幸せ絶頂だと閲覧制限も忘れるんでしょうかね

子供が生まれたことも知ってしまいました。

 

もう終わったことですが、何かあるたびに、心はそこに戻っていくような感じがあります。でも、それは誰にも打ち明けられません。いつまでも引きずっていてみっともない、とされる風潮ってありますよね。

 

ツイッターフェイスブックに書いたり、リアルな友達にもとても言えません。

 

だからここに書きます。独り暮らしって、当然ですが私が仕事で頑張ろうと失恋で泣こうとちょっとした幸運で笑おうと、誰も見てないんですよね。私が今死んだら、私の軌跡は、何も残ってない。

 

死んだら、今ヒット中の映画ではないですが、この世界の片隅に、ちょっとでも私という存在が誰かのどこかに残ってくれればと思って

 

いや、そんな大事じゃなくても。自分の防備として、書いていきます。