htoko’s blog

44歳会社員、女、バツイチ、子供なしの忘備録

【映画】愛をよむひと(The Reader)

忘備で観た映画書くことにした。(誰も読んでないからあれだけどネタバレあることも)

DVD鑑賞。ケイト・ウィンスレットが守りたかった秘密自体が、なぜだろう、自分の身を守ることと天秤にかけたら秘密にしなくても…と腑に落ちなかったけど、見ごたえのあるメロドラマだった。

 

数十年経っても襲い来る悔恨、と思ったらきらめく思い出を取り出しては自然と笑みが出たり、そして永遠に答えの出ない「なぜ」。過去の記憶が波のように寄せては引く、そこから抗えない男。孤独を体現したレイフ・ファインズが良かった。教会の子どもの聖歌隊の声と窓からの木漏れ日と愛する人の笑顔、きらめく一瞬は死ぬ前にふと思い出したりするのだろう。

自分の中でキラキラと輝く、幸せしかなかったあの一瞬は二度と戻らない。しわが増えて白髪も増えて、滅多に笑わなくなった老いた自分が、その記憶だけがキラキラと輝く。そこには恨みも怒りもない。

www.allcinema.net

クリスマス連休3連休

22日(木)

家リフォームする友達の家にお呼ばれ すごい嵐、新潟の糸魚川では大火事があったらしい。映画談義。ギャラクシー・クエスト!、不思議惑星キンザザ、この世界の片隅にシン・ゴジラ、いろいろ。お土産に林檎ジャムもらう。おでんおいしかった。

 

23日(金)

ケーブルテレビの工事来る。ポレポレ東中野で濱口竜介特集『天国はまだ遠い』『不気味なものの肌に触れる』。石田法嗣さんという俳優のトークを聞く。アジアのスターを目指せると、監督から言われているとの話

 

24日(土)

旧友と創業50年の近所の店で飲む。差しのみのつもりが、夫さんと、前日たまたまあったらしい3人を連れてきている。香港人のスタンリーと映画談義。ウォン・カーワイ、トニー・レオン金城武。香港から中国に通勤、普通にある。楽しかったけど差しのみのつもりだったというとすまながって、年明けの飲みを約束。

 

25日(日)

ポレポレ東中野で再び濱口竜介監督特集。チケット先に買って、駅ビル内の喫茶店で梯久美子『狂うひと』を熟読。たのしい。

遅ればせながら『PASSION』。一番面白かった。今回見た監督作3本中2本に渋川清彦が出ていた。渋谷に移動しソ連ナイトという変わったイベント。東京カルチャーカルチャー新宿ロフトの綺麗で広い版のような。友達とその弟さんも来たので、3人でお茶した。友達がクリスマスプレゼントくれた。

 

用事があればさびしくない。埋めつくそう。

37で離婚して①

37で離婚したとき、私は私が何者かという自分の輪郭に少し触れた気がしました(遅えよ)

 

元夫の浮気が発覚した当時(それは、二人で酔って飲んで帰った日、元夫が酔ったまま誰かに何かの返信をしており、それを私が目にしたことでした。文面は一言「生理が来ない」)のことを振り返ってみます。雰囲気や情緒に流さされて、実に自分が見えていなかったかが、今ではよくわかります。

 

当時あったこと。義弟夫婦に子どもができたこと、義姉の結婚式が立派だったこと。私たちは結婚式をしなかったし、先方の家族には義姉の結婚式の控室で紹介されただけでした。夫より四つ年上だった私は、夫の家族になんとなく受け入れられていない疎外感のようなものを味わっていました。

 

いや、「四つ年上だから」という言い訳はよそう。「人として、他人と関わっていけるか」面が不安な人間からすると、「結婚して先方の家族とうまくやっていく」って、急に課せられた試練ですよね。私は他人とのかかわりに今でも自身が持てないくらいなので、このシチュエーションは気が重かった。

 

「早く子供を」とか義理の両親に急かされたわけでもない、同居を求められたわけでもない。けど、元夫の家族が私の家族とあまりにも違う、結束が強い関係だったので、そこにうまくなじもう、認められよう、という気持ちが私にあった。

 

けど、元夫の家族なんて盆や正月に会うぐらいだったのに、何を私は当時、焦っていたのか。それは、先方の家族なんて関係なくて、元夫と自分の二人の関係が不安になっていたんだと思う。私は発覚する直前まで夫の浮気などみじんも疑っていなかったけど、「今振り返れば」と思い当たることがたくさんある。私は私で、夫の態度に不安を感じていたんでしょう。

 

共働きだった私たち、元夫より1時間ぐらい早く家を出て、元夫より数時間早く戻ってくる(元夫は毎日終電、たまに朝帰りだった)。私が自分の仕事の後、毎日、スーパー総菜でなく、料理を作って待っていようと懸命になっていたのは、私が数時間早く帰れたから、だけが理由じゃなかったと思う。「妻は、女はそうすべき」という固定観念が自分にあった。子どももいる共働きさんには笑われそうですが、人それぞれですよね、私には「自分が働いて、もっと働いている夫のために、家事をして支えること」が精いっぱいでした。

 

夫は「そこまでしなくていい」と言ってましたが、では私がしなかったらやってくれるのかというと違った。「そこまでしなくていい」と一見優しい物言いは、「自分がしないことの引け目」からだったんですね。私は家事分担のことで揉めたりしたくなかったので、あからさまにそのことで喧嘩したりはしなかったけど、「そこまでしなくていい」よりは、素直に「ありがとう」と言ってほしかった。

 

ちょっと話がそれましたが、夫は私が一生懸命「妻」であろうとしたことを快く思っていないふしでした。いや、「ありがとう」は言ってはくれるんですが、一度私が「私って兼業主婦だよね」と言ったら露骨に嫌な顔をしていた、その顔は覚えています。まあ別の女と付き合いながらそう言われたら、嫌でしょうね。

 

でも確かに、表面上は元夫に強いられたわけではなかったのに、追い込んでいたのは「結婚したのだからちゃんと夫婦らしくしなくては」「妻らしくしなくては」という、ドコからかのダレかからの声に押されたのに加え、31、32、33、34と、年齢だけが重なるのに子どもを作ろうという話は元夫からは一切出ず(まだそういうことは考えられないから、ということは何度か言われた)、形態だけは共働きの同居人、という状態、変わらない状態に焦っていたんだと思います。

 

今だからわかることです。どっちかが会社を首になったわけでもなく、大病したわけでもなく。何もないけど穏やかな暮らし。たまに巻き起こる元夫の実家騒動に、当事者として巻き込まれたわけでもなく。しかし、不安でたまらなかった。

 

今思うのは、私にとって「ドコからかのダレかからの声」は大きい、そしてそれに振り回されて自滅した私には、その声を無視して生きることが今後の課題になるんだろうなと。一見、超然と構えているように自他ともに思っていた「私」は、実は他人の目や言動を気にして、情緒や雰囲気に流されて、浮気されたのに元夫にすがりつくという滑稽な一、二年を過ごすことになったのです。今、あの滑稽な日々を日々、かみしめています。

 

世間体にとらわれず生きること。

強要されたわけでもないのにいい妻であろうとしたこと。

一方が二人の生活を作ろうとし、他方がそうでない場合の結婚生活の滑稽さ。

 

ごっちゃになっています、人に読ませる想定をしていないので、これからもう少し整理します。私の頭を整理するためにこのブログはあります。

独り過ぎて忘備録。

初めまして。まずは自己紹介から。

第二次ベビーブーム世代のピークである1973年生まれ、バツイチ、TOKOといいます。

2年の交際・同棲を経て31で結婚し、37で離婚し、独り暮らし、今に至ります。

もめにもめた後、離婚して1年後、Facebookのおせっかい機能(「友達かも?」)で元夫と浮気相手の結婚を知ります。幸せ絶頂だと閲覧制限も忘れるんでしょうかね

子供が生まれたことも知ってしまいました。

 

もう終わったことですが、何かあるたびに、心はそこに戻っていくような感じがあります。でも、それは誰にも打ち明けられません。いつまでも引きずっていてみっともない、とされる風潮ってありますよね。

 

ツイッターフェイスブックに書いたり、リアルな友達にもとても言えません。

 

だからここに書きます。独り暮らしって、当然ですが私が仕事で頑張ろうと失恋で泣こうとちょっとした幸運で笑おうと、誰も見てないんですよね。私が今死んだら、私の軌跡は、何も残ってない。

 

死んだら、今ヒット中の映画ではないですが、この世界の片隅に、ちょっとでも私という存在が誰かのどこかに残ってくれればと思って

 

いや、そんな大事じゃなくても。自分の防備として、書いていきます。