htoko’s blog

44歳会社員、女、バツイチ、子供なしの忘備録

40代で婚活を続けるということ

まるで長崎ちゃんぽんのようにネタをちゃんぽんします。

 

37で離婚したとき、私、もう終わったと思いましたよね。脳内でひたすら叫んでた。

「おかあさん ごめん」

離婚しちゃったから?孫の顔を見せられないから?何の「ごめん」だか自分でもよくわからなかったけど、ひたすら母親に申し訳ない気持ちでいっぱいだった(普段からドライな関係なのでなおさら)。男性不信もマックス、もう二度と色恋沙汰(色恋沙汰って 笑)はすまい、できまいと思った。

 

今思えばそんな悲観することはなかった 37でバツイチならまだまだいける。

しかし、この

まだまだいける

って考え方自体が、「井の中の蛙」状態だと気付いたのは本当に最近でした。そして、こう書いたことによって脳内に響く

いい歳したババアが何言ってんだよ 

いい加減あきらめろよ劣化したおばさん

って男子(誰だ)の声が聞こえなくなってきたのも最近でした。

 

実際に「若い女性のほうがいい」と思う男性が多いのは確かでしょう。子どもがほしいならなおさら。そう、41…42…43で何が辛いかって、生殖可能年齢がオーバーになること。具体的に「子供がほしい」と強くも思わなかったし、そのために行動してこなかった自分ではありますが(というかガッチリ行動してきても授からない人もいるわけで)、「ああそうか、望んでもダメなんだ」と身をもって知る、自分を諦めさせる、納得させていくのは、なかなかしんどいものでした。そして、それは何で思い知らされたかというと、婚活サイトのチェック欄です

「子供がほしい」にチェックをつけている男性は、私は対象外なわけです

同じ立場の皆さん、どうやって乗り越えたの??

婚活とは容赦なくあれこれ、思い知らされる場ではあります。

 

「ああ 現世ではダメなんだ 来世で」とか、思えたらいいなあ…と思ったけど、割と今そう思っています

 

さて しかし43にもなり、悲観的な日々がいつの間に終わります(たまに思い起こすけど)。ダメなものはダメと腹をくくれたというか、諦めがついたというか、何というか、楽になったんです。焦りでいっぱいだったのに、婚活もやめてないのに、なぜか、いつのまに。

このように、人は何もしてないのに勝手に悲観的になり勝手に楽観的になります

「勝手に」と書きましたが、潜在的に、ちょっとずつ自信がついてったんですよね。男性と会ってごはん食べたり、なんだりすることによって。43の私に会ってくれて、もう一度会いたいと言ってくれる男性がいる(続かないけど)、それだけで私は心が前向きになります。単純なもんです。

 

「会ってくれて喜んでくれる」だけでうれしいなんて。けど、実際にそう思うようになると、年収だの見かけだのより、「話してて楽しいか」「気が合うか」だけに焦点が合うようになります。そう思えるのは、私が自立して仕事しているからかもしれません。結婚時も今も同じ仕事で、次々ストレスで人が辞めてく職場で辛くて、元夫に「辞めてもいいよ」と言われましたが、あの時やめないでよかったと本当に思います(その裏で元夫は浮気してたという…)。

 

結局今、彼氏がいないので、寂しい夜はあります。なんかうまくいかないなって、だいぶ凹んだこともあります。けど行動することによって、そういうちょっとした自信につながるとしたら、無駄じゃないと思えるようになった(と、自分に言い聞かせている)。そして、会ってくれる男性がいることで、脳内の「いい歳したババアが何言ってんだよ」って男の声も聞こえなくなりました。

 

東京タラレバ娘」ってありますよね。批判を恐れたかドラマはずいぶん改変されてるんで原作(全巻持ってる)の話ですが、原作はもっと容赦ないんですよね。33の女子たちに「転んで助け起こしてもらうのは25歳までだろ」とか、金髪イケメンが言うんですよ。33の女子たちが結婚、不倫、セカンド女としていろいろ悩んでいて、その一人が「40過ぎて一人だったらもうホラーだ…」みたいなセリフを吐くんですよね。そうなの、世間的には「40過ぎて一人はホラー」

 

ご想像するような寂しい夜はあります。けど、ホラーってことはないよって、言ってあげたい。夫が帰ってこなくて、いてもかみ合わなくて寂しかった二人のときの夜より、自分で引き受けて寂しい一人の夜のほうが、生きてる実感があります。

 

というわけで、明日また会ってきます。